馬車道商店街協同組合

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慶応の大火後の横浜(神奈川県立歴史博物館)  1866年(慶応2年)の慶応の大火の後、幕府は諸外国との間で居留地の整備などに関する取り決めを締結します。そのなかに外国側の要請として盛り込まれていたのが、幅60フィート(約18メートル)の馬車のための道を整備することでした。商業を活発にして、居留地の住民に運動や保養の機会を与えるためです。道路は3本作られ、そのうち2番目の道路が現在の馬車道にあたります。そして、その完成時期は早くとも1867年(慶応3年)秋以降だったと考えられています。

 このように、馬車道は、昔からあったわけではなく、関内を取り囲む環状道路の一部として新しくつくられたものでした。そして、その片方の起点である吉田橋は、開港時に建設された横浜道を通じて関内と関外を結ぶ位置にあります。また一方の起点にあたるフランス公使館の近くには渡船場があり、対岸の神奈川宿と結ぶ関内の入り口の一つでした。新しく整備された横浜のメインストリートは、関内と外の世界とをつなぐ大動脈としての役割を担うようになったのです。

 多くの人とモノが行き交うこの通りで、新たな事業や文化が次々に生まれました。
 下岡蓮杖は、1867年(慶応3年)に馬車道に写真館を新築しました。下岡の写真館は、現在の太田町5丁目角のあたりにあったと考えられています。また1870年(明治3年1月)には紀伊国屋薬舗が創業しました。現在も馬車道で営業を続けている老舗のひとつである平安堂薬局の前身です。 馬車道が開通した際に商店が競って柳や松を街路樹に植えたことから、「近代街路樹発祥之地」の石碑が建てられています。1869年(明治2年11月)には吉田橋が、日本で最初のトラス構造鉄橋に架け替えられました。
 また、1869年(明治2年6月)には、町田房造が馬車道に氷水店を開業しました。これは日本人によるアイスクリーム販売の第一号として広く知られています。現在では、毎年5月9日を中心に、馬車道商店街ではアイスクリーム発祥記念イベントを開催しています。
 1872年(明治5年9月29日)には日本最初のガス灯が、大江橋から馬車道、本町通りにかけて点灯しました。

 このように、馬車を走らせるための道路が整備されたことをきっかけに、馬車道が生まれ、発展していったのです。

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