馬車道商店街協同組合

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開港当初の横浜(神奈川県立歴史博物館)  1853年7月8日(嘉永6年6月3日)、アメリカ東インド・中国艦隊司令長官ペリー提督が率いる艦隊が、三浦半島の浦賀に来航しました。
そして翌1854年(嘉永7年)、ペリー提督は横浜に上陸すると、3月31日(3月3日)に日米和親条約を結びました。ペリー艦隊の蒸気軍艦は「黒船」と呼ばれ、人々の注目を集めます。
 さらに1858年(安政5年)には安政五カ国条約が結ばれ、日本は海外との貿易を始めることになりました。

 このとき、港として開かれたのが、横浜・箱館・長崎の三港です。当時の幕府は、東海道の宿場町であった神奈川を避け、対岸に位置する横浜を開港することにしたのです。それ以来、外国商人が集まるようになった横浜は、日本と世界をつなぐ窓口として急成長していきます。

 開港当初の横浜に、現在の馬車道はありませんでした。開港翌年の1860年(万延元年)に、外国人居留地と山手が分けられ、後の関内の原型が形づくられました。この開港場には外国の人とモノが行き交い、物珍しい西洋の文化は人々の関心を集めました。馬車道の名前の由来である馬車もそのひとつです。

 賑わう横浜には、日本各地から多くの商人が集まりました。しかし、1866年(慶応2年)に11月26日(10月20日)に慶応の大火が発生します。この火事により、横浜の中心市街地は大きな被害を受けて、まち並みは一変してしまいますが、それは「馬車道」誕生の契機でもありました。

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